イタリア語とトルコ語の思い出など

31期 山口 透

 31期の山口です。大脇大先輩のご指名ですので、私のような「若手」(笑)がこの欄に登場するご無礼をお許しください。
 さて、私は仕事の関係で、しばらくイタリアとトルコに住んでおりました。その二つの国で、印象に残っている「言葉」を振り返ってみたいと思います。イタリア語が、英語といちばん違う点は、動詞の活用の複雑さです。一人称・二人称・三人称の単数・複数で活用が違い、かつ現在・過去・未来形も、一点の過去、継続する過去、過去の過去、未来、仮定の未来など多岐にわたり、動詞の活用で頭がクラクラするのですが、そんなイタリア語の中で、今でもいちばん懐かしく思いだすのは動詞ではなく、名詞の「マンマ・ミーア」です。


ローマ フォロ・ロマーノ

 この言葉、直接の意味は、私のお母さんです。しかし、もっぱら「なんてこった!」という時に使われます。日本語のニュアンスとしては、信じらんない!ウッソ―!まじか!に近いものがあります。イタリアという国はとても愛すべき国なのですが、なかなか融通無碍といいますか、いい加減なところも多く、3年弱の滞在の中で、幾度となく、マンマ・ミーア!と叫びたくなり、また実際に叫びました。そういう意味で、とても懐かしいイタリア語です。ちなみに映画・ミュージカルの「マンマ・ミーア」も、私のお母さんという意味と、ハチャメチャなお母さんにあきれているという意味のダブル・ミーニングです。

 トルコ語は、単語が英語などのラテン語系と全く異なります。曜日ひとつとっても、トルコ語で金曜日は「礼拝の日」、土曜日は「その翌日」、日曜日は「バザールの日」、月曜日は、「その翌日」みたいな名前になっていて、太陽、月、火星、水星といったラテン語系の曜日の呼び方とは全く異なります。こちらは英語から類推できない、全く新しい単語を覚えるという苦労がありました。そのトルコ語の中で最も印象深く覚えているのは、これはもうダントツで「インシャッラー」です。これは、「神(アッラー)の思し召し」という意味ですが、どういう時に使うかといいますと、「約束したいけど、できるかどうかわからないよ。」という意味です。トルコ語会話の実例をお示ししましょう。


イスタンブール アヤソフィヤ内部

私:「じゃあ来週までに、ここまで仕上げて、再来週の月曜日に打ち合わせましょう。」
トルコ人:「わかりました。そうしましょう。インシャッラー。」
この会話では、トルコ人は、「そりゃ私はがんばりますが、何か私の力の及ばないところで、できないかも知れませんからね。それは私のせいではなく、神の思し召しと考えて下さいね。」というくらいの感じです。
 外国人にとって印象的な言葉には、その国のお国柄がよくあらわれると思います。因みに私の知っている多くの外国人が、よく覚えている日本語として「どうも。どうも。」と言います。確かによく使いますよね。さて、この言葉どう説明したらいいでしょうか。 (2018/04/8)

 次は、同期の森さんにお願いします。

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