日本列島の誕生

5期 大脇 康孝

 2017年7月、NHKスペシャル「列島誕生ジオジャパン」という番組が放映されました。日本列島がどのようにして形造られ、その後山岳列島となったかを様々な証拠を示し分かりやすく説明していました。学生の頃、地質学を学んだ者として面白く教えられるところあり“あらすじ”を紹介いたします。

  第1集「奇跡の島はこうして生まれた」
 延長3,300kmの弧状列島は2,500万年前大陸の一部でした。大陸の縁辺部に巨大な亀裂を生じ拡大し、亀裂の東側の部分は大陸から離れて行きました。
-1950年代まではA・ヴエーゲナー(独)の「大陸移動説」が主で、北米・南米と欧州・アフリカの海岸線の相似、産出する古生物の化石の一致などが証拠として挙げられていましたが移動の原動力は明らかではなかったのです。1968年T・ウイルソン(加)が球面幾何学を応用しプレートテクトニクス理論を完成させました。地球の表面を覆う十数枚の岩盤はプレートと呼ばれ、下位にある流動性を持つマントルに乗って相互に流動する、というものです-
 海洋底を乗せる比重の大きい太平洋プレート(玄武岩質)は大陸を乗せる比重の小さいユーラシアプレート(花崗岩質)の東側でマントルに沈み込み、マントル内では大きな対流を生じ東側を向いた力は大陸の東縁を引きちぎります。 日本列島原形の誕生です。分離した証拠は例えば飛騨地方の一億年前の岩石と含まれる化石がロシア、ハバロフスク地方のものと一致します。1,500万年前の推定図では東海以西の陸地はほぼ現状、東北地方は北上山地、阿武隈山地、北海道はカラフトが今の日高山脈付近まで延び関東一帯は海峡です。1,500万年以前の火成岩に含まれる磁鉄鉱の磁北の方向が東北日本と西南日本で異なります。火成岩が冷えると磁北は永久固定するので古日本列島は関東付近で東北は反時計回り、西南は時計回りの回転、いわば観音開きのような運動をしたことが分ります。大陸にあった頃はすべて北向きであったはずです。この頃、南のフィリッピンプレートが一列の火山島を乗せて北上します。関東東方沖で西進し陸地に衝突、最初の火山島が甲府の櫛形山地、次いで御坂山地、丹沢山地、伊豆半島の衝突はこれらをさらに高みへと押し上げ、これらの山地から流れ出た土砂は関東平野の基となり弧状列島はほぼ一本に繋がります。現在でも伊豆大島をはじめ伊豆七島が控えています、さらに小笠原、ハワイ諸島も。同じ太平洋プレートに乗る南鳥島は電子基準点の計測で8cm/年ので西北西に動いています。
 第2集「奇跡の島はこうして山国となった」は紙面の都合でまたの機会にゆずります。 (2018/03/21)

 次は、山口さんにお願いします。

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