6期 小林 茂光
現役を退き、時間を自由に使える様になると郷里や若い頃の仲間が益々恋しくなる。
東京松江会や東京双松会には出席するが年に一度の開催、出席しても組織が少し大き過ぎる。
卒業年次が近く昔話が分かり合える仲間の集まりを持ちたいと思う人が少なくなく、そんな機運が高まって出来たのがこの東京だんだん会である。
結成する数年前のこと東京双松会の事務局から全国制覇を二度も成し遂げたバレー部の歴史と現状を東京双松会の総会で発表して欲しいと云う要望があった。
バレーボールコートがあった椿谷
昭和初期以来の長い歴史の資料集めを2期石原道央さんや4期今岡杲さんを中心に、県立女学校当時のバレー部の先輩達の協力を得て着手、日本橋島根館に隣接するレストラン『主水』で数回の打ち合わせ会を開きながら進めた。
お陰で2007年秋の東京双松会総会に於ける発表には松江中学時代の高齢の先輩や地方のOB、更には県女の方々にも沢山参加頂いて盛大だった。
その後の東京松江会などではこの顔見知りの仲間が一つのテーブルを囲む事が多く、そんな経緯で自然に昔話や松江を語るこの会が発足した。発足当初は県女の方々も参加頂いたが、ご高齢でもあり次第に欠席されるようになり今日に至っている。
2期の皆さんには在京のバレー部の方も多かったので発足当初は2期の参加も多くて、『主水』から日比谷の『ウスケボー』へ移り、次に『六甲クラブ』へ移ったのもその方々のお世話になった。
現在、次第に若返りは進んでいますが、永続するためには更に若返りが必要だと思います。
集まって昔話をするだけでも素晴らしい事ですが、同時に世の中の新しい流れなどの話題を提供して頂き、故郷松江との繋がり深化、松江の興隆になにらかのお役に立てないものかとも思っています。(2018/02/26)
次は、大脇さんにお願いします。